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ロシアのロックスターって誰でしょう?
スナイパーズ史
ディアナ・アルベニナ(Diana Arbenina)は1974年7月8日、ベラルーシのポーランドとの国境の近くにあるヴォロージン市という小さな町で生まれた。彼女が3歳の時、両親はディアナを連れてソ連の極北地方へ移動することにした。ジャーナリスト業に夢中になっていた両親は定住したくなかったので、チュコート半島やコリマ川流域の小さな町に住んでいた。そこでディアナは高校までの教育、そして音楽学校で授業を受けてきた。1991年、マガダン市にある大学の外国語学部に入学した。
大学2年を終わって、夏休みにディアナはサンクト・ペテルブルグ市へ旅行に行った。そこで偶然スヴェトラーナ・スルガノヴァ(Svetlana Surganova)に出会う。二人共以前から歌を作っていたので、アコースティックのデュオとして共演することがすぐ決まった。1993年8月19日バンド、ナイト・スナイパーズ(Night Snipers、ノチヌィエ・スナイペルィ)が誕生した。ディアナはギター、スヴェトラーナはバイオリンを弾き、2人の美しい歌声、研ぎ澄まされた音、そして歌詞は人々を感動させる力が強かった。1994-96年にわたって、サンクト・ペテルブルグをはじめ、いろいろな町の有名なクラブで演奏した。そして、2人は「全ペテルブルグ」というテレビ音楽コンクール、「小春日和」という非営利のロック音楽フェスティバル、「ロシアのモダン」という12時間も続く都市のイベントなどに参加していった。1996年にデンマーク公演で学生のためのコンサートをいくつか行った。そして、バンドの活動と同時にアルベニナがロシアで最高レベルであるサンクト・ペテルブルグ大学に入学し、外国人向けのロシア語教師になるための勉強をしていた。
1997年2月、2人の男性がバンドのメンバーに加わった。ベースのユーリー・デクチャリョフとドラムのアレクセイ・イワノフを加えて4人で活動を始めた。ペテルブルグの様々なイベントに参加し、その中でアラン・マイエルとイーゴリ・ゴルベンツェフという有名な画家の展覧会でもコンサートをやったことがある。
1998年8月にはナイト・スナイパーズのデビューアルバム「蜂蜜の樽にタールの滴」(玉に瑕というような意味のロシア語のことわざ)が世に出た。このアルバムの曲は「Europa plus」をはじめとして、ロシア最大の5つの放送局の電波に流れるようになった。最初のコンサート・プログラムが聴衆を飽きさせないうちに新しいプログラムを出し、バンドはロシア、デンマーク、スウェーデン、フィンランドで活発的な公演活動を続けていた。
1998年の終わりにバンドのリズムセクションが変わる。しかし、ナイト・スナイパーズの心であるディアナとスヴェトラーナが相変わらず素晴らしい歌を作り歌っていた。新メンバーのゴーガ・コプィロフとアリック・ポタプキンはずば抜けたプロであり、それによりバンド全体が初期のころの歌を新しい目で見るようになって、新作のものは質的に高い水準に達した。サンクト・ペテルブルグでコンサートを10公演行い、「車都」という祭りで大きな成功を収めてトリヤッティ市―自動車産業都市でスペシャルゲストとして出演した。
1999年8月には新しいアルバム、「子供の片言」という1989-95年にホーム・レコードやスタジオ録音された音楽の選集したものがリリースされた。
2000年の夏、ナイト・スナイパーズが「境」というエレクトリックのアルバムに取り組んだ。11月までに大ヒットした「31回目の春」がナーシェ・ラジオのチャートで1位になる。ナーシェ・ラジオ(我がラジオという意味)はロシアのロックしか放送しない大人気の局であり、そのチャートの1位に達することはロシアで最高のバンドになるのを表わすのである。
同年12月ナイト・スナイパーズが「境」のリリース契約をReal
Recordsというロシアのレコーディング大手会社と結ぶ。2000年3月1日にモスクワで、11日にサンクト・ペテルブルグでこのアルバムがプレゼンテーションされた。
「津波」という2番目のエレクトリック・アルバムは2002年の秋に完成した。ツナミという言葉は日本語からの外来語で、ディアナの説明によれば、人が逃れられない大波のような恋を表わす。12月にはバンドがスヴェトラーナを脱退させた。「実際には、飽和状態だった。私たちそれぞれに自分の道がある。時が一番賢明な医師であり、皆を適所に配置するだろう」とディアナ・アルベニナがいう。
2003年2月1日にモスクワのルジニキというスポーツ会館で「津波」コンサートが行われた。大きく構成の変わったバンドはエレキ楽器を使っているが、アコースティックのサウンドの実験を止めてはいない。5月にゴーリキー名称モスクワ芸術座の舞台での「Trigonometry」(「三角法」)というアコースティックライブが録音され、その中の歌が同年の秋にバンドのディスコグラフィーを補充した同名アルバムに収録された。この舞台でアコースティックのコンサートを行うことはナイト・スナイパーズにとっての立派な伝統となって、バンドが起源に戻り、唯一のエピソードを含んだ比類なきプログラムを演ずる時なのである。
2004年10月には、「SMS」という待望のアルバムはReal Recordsによって発売された。SMS (Short Message
Service)は日本のメールに似ている、ロシアでとても人気の携帯電話サービスである。なぜアルバムがこう名づけられたかというと、新しいSMSが届くと、好奇心をそそり気持ちが良くなるとディアナが言う。そして、この題名はアルバムのメッセージ性を強調するそうだ。「SMS」はナイト・スナイパーズの創作活動の主要段階、バンドの音楽で起きる変化の一種の導体となった。新しい歌、新しいサウンド、音楽そのものへの新しい態度。ナイト・スナイパーズが創造への空前の意気込みを体験しつつあるということはこのアルバムで確証された。
「SMS」と同時にアルベニナは『カタストロフィーチェスキ』という歌詞・詩・絵の本を著した。本の題名は「破局的に」という意味で、アルバム「津波」の中の一曲から名付けられた。2005年の初め、アルベニナに大きな出来事が起こった。彼女は、文学・芸術の分野で優秀な業績を収めた者に贈られる「トライアンフ賞」を受賞した。権威あるこの褒賞の審査委員会は現在のロシア文化における著名な功労者のみで構成されている。アーティストとして何年もの間歩んできた彼女にとって、この賞の受賞はとても大事な一歩であった。
2005年2月はバンドの歴史の上で思いがけない1ページとなった。宮沢和史とモスクワで共演。「島唄」という2つのコンサートが大きな成功を収め、シングル「島唄」がReal Recordsよりリリースされた。(http://blog.excite.co.jp/miyazawa/index.xml) 4月にはナイト・スナイパーズのジャパン・ストーリーが続いた。今度は日本でナイト・スナイパーズが自分たちの歌の評価を日本の観客に委ねた。ディアナが作詞・作曲した「コシカ」という歌は宮沢氏によって日本語に訳され日本で人気を博し、4月16日に静岡県の下田市で行われた日露修好150周年記念式典で宮沢氏とスナイパーズがまた共演した。(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/shukou_150/050416.html) そして東京でもナイト・スナイパーズの単独公演が行われた。
ゴーリキー名称モスクワ芸術座で開催された「島唄」プロジェクトの1つのコンサートはエレクトリックであったが、2005年5月26日にナイト・スナイパーズは新しいアコースティック・プログラム「Trigonometry2」を上演するためにこの好きな舞台に登った。ディアナが「良い意味で標準」と言うと同時に「まったくのアドレナリン」と言ったライブはライブCDやDVDとして発売され、ファンにとって嬉しいプレゼントとなった。「Trigonometry2」は第一目より2年経ってリリースされたので、ニューアルバムを心待ちにしてた人にアルベニナは「忍耐は強い者の素質である。忠実と一緒」と感謝の意を述べた。「Trigonometry2」はバンドのことをよく知らない人々にもスナイパーズについての認識を得るような素晴らしい機会であり、以前から彼女たちの音楽に愛着を感じている皆にも重要な出来事である。このアルバムの1曲はアルベニナがマイクなしで、会場全体と歌っている。
2005年の夏にスナイパーズが再び来日する。7月29日、フジロックフェスティバルで初めてのロシアのバンドとして公演した。(http://www.rian-japan.com/news/details.php?p=92&more=1) 新潟県知事のメッセージにロシア総領事のスピーチというおまけ付きで登場してから、両国間の文化交流を深めるべき50分の演奏をした。ナイト・スナイパーズはフェスティバルの後に日本でCDをリリースする予定で、これはナイト・スナイパーズにとって初めての海外進出であった。彼女たちはその準備のためにフェスティバルが終わってからも日本に長居をした。わざわざモスクワで新たに編曲されてレコーディングし直され、ナイト・スナイパーズのベスト曲を含んだアルバム、「コシカ」がVictor Entertainmentから8月24日にリリースされた。(http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A019960/-.html)
ミキシングとマスタリングは日本で行われた。
2006年6月にはReal
Recordsより「コシカ」がロシアで再版された。この夏はナイト・スナイパーズの新しいアルバムの作業も始まった。2006年全体は充実した年となった。継続的なコンサートツアー、新しい歌の誕生、ビデオの撮影、インタビュー、テレビやラジオ番組に参加…。アルベニナの誕生日に合わせたショーが顕著なイベントになった。毎年彼女は誕生日に舞台に立っている。今回は夏のこのコンサートを空気のある野外でやることになった。7月8日はモスクワで緑の多い場所の1つ、居心地良いエルミタージュ庭園で、7月9日はサンクト・ペテルブルグのフォンタンカ川沿いにあるイズマイロフスキー庭園で誕生日のコンサートが行われた。モスクワのショーの後、ディアナの誕生日を2回ほど祝う権利を特別なコンクールで獲得した、バンドの最もコアなファンを乗せたサンクト・ペテルブルグ行きのスナイパーズ深夜バスが出発した。スナイパーズのリーダーを祝いにミュージシャン仲間も駆けつけた。例えば、自分の仕事に世界音楽産業の先端技術や新傾向を利用する、ロシアで流行のロックバンドであるビー・ツー(Bi-2、ビー・ドヴァ)が来た。(このバンドのオフィシャルサイトからダウンロードができるhttp://www.bdva.ru/discographia.phtml)
ビー・ツーとディアナは以前からの友好や協力で結びついている。2007年4月に発売された「ボニー&クライド」というスナイパーズのアルバムにシューラ(Shura Bi-2)という人からビー・ツーの創造力が引き込まれた。これによって新しいアルバムは以前のものと違うものとなった。
「ボニー&クライド」によりまたアルベニナに多面的さがあることが明らかになったが、彼女の性格の一体性も感じられる。2007年5月26日に約4千人を収容できるルジニキスポーツ会館でDVDとしてリリース予定の「ボニー&クライド」の壮大なプレゼンテーションが催された。
今のところ、ナイト・スナイパーズというのは作詞作曲を手がけるディアナ・アルベニナ(Vo)、イワン・イヴォルガ(G)、ドミトリー・ゴリェーロフ(Dr)、ドミトリー・マクシーモフ(B)、アンドレイ・チトコフ(Key)。